ボクの某国論

           其の弐 刑務所は宝の山?

 

 この文章は10年以上前に某国において商工会の友人に送ったもので、反響が大きく在某国の某法律事務所の定期発行のメールエッセイにも取り上げられた。当時書いたそのままの文書は保存していなかったので多少書き加たり割愛した所があるが、一部に衝撃的な内容を含んでいるのでそのつもりで読んでほしい。

                           記

 私の友人(某国人)の一人に奥さんが看護婦をしている人がいた。この話は、その友人が奥さんから聞いて私に教えてくれた内容をそのまま脚色せずにお伝えするものである。彼女は普段某国首都の病院勤めをしているが、年に何回か地方への出張命令が出て数日帰ってこない。行先はいつも同じ場所ではないらしいが、彼女の場合比較的浙江省の某所が多いそうだ。そしてその場所とは、患者の所でも関係の病院でもなく その地域にある刑務所だそうだ。その刑務所内か隣接の処刑場かは知らないが、そこでは年に数回大量の死刑執行が行われる。彼女は昨年浙江省の刑務所に3回行ったそうだが、内1回で27人がまとめて銃殺となったそうである。

 彼女は医者と一緒にその執行に立ち会い、死体から速やかに臓器を取り出し持って帰ることの使命を帯びている。その為 年数回の大量執行の際には、各地域の病院に知らせが届き“臓器回収班”が俄に編成されて対応するらしい。な何と工場のようにロット、ロットで処理するようなやり方であるが、臓器を纏めて調達するには実に効率が良いとも言える。

 ただでさえアムネスティなど国際的な人権擁護団体から「死刑執行が多すぎる」などと指摘を毎年のように受けている某国政府、死刑囚からの臓器調達などを公式に認めてはいない。しかし死刑囚の臓器利用は、一般大衆の間では良く知られた事で”周知の事実”であった。以前なら死刑囚の死体は畑の”肥やし”ぐらいにしか役に立たなかったであろうが、臓器移植の技術が進歩してきた現代では、一大ビジネスに変貌してしまった。ましてや金になるビジネスには、なんでも絡んで行く某国政府と官僚がこんなおいしいマーケットを放っておくはずはないのだ。

ドナーバンクの様に「私が死んだら私の臓器は困った人々に提供します」なんて考え方自体がまだまだ普及していない某国では、移植用の臓器が不足するのは必至であり、臓器は高く売れるようになった。その為 子供を誘拐して殺し臓器を売るような悪質な犯罪も絶えない。ある女性が、町で男に声をかけられ、ついていった先で麻酔をかがされて、その後目を覚ましたら腹に手術の跡があり腎臓を1つ抜かれていた。なんて嘘のような本当の事件も一度や二度ではない。

多少話が逸れたが医者と彼女たち看護婦は、死刑囚が銃殺される当日には看護婦の衣装ではなく武装警察の制服姿に着替えさせられる。(多分 臓器取り出しを隠匿するための1つの対応策ではないかと想像する。)そして 死刑囚の横 数メートルの所に待機するそうだ。死刑囚は、並べられ膝まずいた形で座らされ 合図で一斉に 首筋の胴体に近い場所に銃弾が1発撃ちこまれる。ほとんどがこれで即死となるそうだが 人によってはまだうなり声を出しているのもいるらしい。しかし 医者と彼女たちは、野獣が一斉に獲物に取りつくがごとく臓器摘出作業を開始して保冷箱に臓器の種別に纏めていく。この一連の光景は想像するだけで凄惨である。まだ完全に死んでない人間からも容赦なく臓器が取り出されるそうだ。後に某国政府は一部死刑囚からの臓器移植を認めた上、死刑囚本人の同意と取った上で行ったとしているが、某国政府が同意など取って処理しているはずがない。死刑囚だけではない、可哀そうに過去に政府から邪教扱いされて拘束された特定宗教の人々も臓器を取られて闇に葬られたらしい。

日本人もピーク時には、400人にも某国に腎臓移植の手術に行ったようなので 死刑囚様様なのであるが、某国では死刑囚になったら家畜以下の扱いになると考えて間違いない。南無阿弥陀仏・・・(2017/6/20 記)

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